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2009年10月18日 (日)

南無阿弥陀仏

 10月11日、母方のばあちゃんが亡くなった。

 今月6、7、8日とお見舞いに顔を出したんが最後になってしもた。ベットの上では辛そうやったんやけど、夕食は車いすで食堂まで行く程やったんやけど・・・。車いすから笑顔で手を振ってくれたんが僕にとってのばあちゃんの最後の姿。

 10日に入院して、11日の夕方お袋から「あと数日」との連絡があって、飛行機飛び乗って、小松着いたらもう既に・・・。

 病院で綺麗にしてもろたばあちゃん迎えにいって、枕経、翌日の仮通夜と僧侶としてお勤め。

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 なかなか寝付けんかった仮通夜の夜、仏壇の阿弥陀さんと仏壇の前で眠っとるばあちゃんの顔がまんで綺麗に重なっとって、心から南無阿弥陀仏が湧いてきた。静かに美しく、本当に綺麗やった。

 日頃お世話になっとるお寺さんから「わしの装束全部貸してやるさけ、通夜も葬儀もあんた導師しまっし。ばあちゃん喜ぶぞ。」っちゅうてもろて涙が流れて、なんともありがたかったんです。ほんでも、葬儀の導師は大聖寺のお手次のお寺・願成寺さんからもおいでるさけ、さすがに遠慮さしてもろてんけど、お通夜は導師を勤めさして頂きました。
 
 松任の西念寺さんからお通夜にお話頂いた法話、通夜の夜に噛みしめながら過ごしました。

 来年13回忌を迎えるじいちゃんに導かれるように今年得度して、ほしてここにばあちゃんを見送って信心決定したというか、病に苦しみながらも「ほんなもんや。」と病に寄り添い、老いに寄り添い、ほして自らの死すらもこれがご縁と生きた大正生まれの強く優しいひとりの女性の姿に、お念仏の心を教えてもろた気がします。

 ばあちゃん、本当にあんやとうね。

(写真は、ばあちゃんとお袋の共通の友達が読んで下さった弔句)

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コメント

コチラでは懐かしい金沢弁を堪能することができるので、ちょくちょくコチラにオジャマさせていただいておりました。
これまでは読んでいただけですが、今日はコメント失礼いたします。
読んでいて、自分の祖父が亡くなった時の事を思い出しました。
私は本当に祖父が大好きでした。孫達は皆祖父が大好きでした。
本来なら弔辞は、関係者内に偉い議員さんなどがいる場合は、その方にお願いすべきもののようですが、私達は、どうしても孫からのありがとうを伝えたくて、葬儀長や親達にお願いし、孫一同で‘感謝状’を贈らせてもらいました。
感謝状授与式となった弔辞はそれぞれが分担して読み上げました。
葬儀後の法話の中で「まさに、南無阿弥陀仏とは‘ありがとう’という意味です。今日のお孫さんたちの弔辞・・あんなに心のこもったありがとうを伝える弔辞を見たのは初めてでした。おじいさまも嬉しかったでしょうね。」という様な話があり、そう言われて、初めて
祖父の死を受け入れることが出来たというか・・納得できたような気がしたのを覚えています。
法話には「亡くなっても、無くなるわけではないし、休んでるわけでもない。カタチを変えて、常に見守ってくれている・・」という話もありました。
私はそれを聞き、‘ご先祖様’というのがグッと身近になったというか・・具体的になったというか・・確かな存在になりました。
きっとおばあさまも今は姿カタチを変えて見てくれているのでしょうね。

投稿: 金沢市出身者なんやけどぉ・・ | 2009年10月21日 (水) 22:23

◎金沢市出身者なんやけどぉ・・さん、
>コチラでは懐かしい金沢弁を堪能することができるので、ちょくちょくコチラにオジャマさせていただいておりました。
これまでは読んでいただけですが、今日はコメント失礼いたします。

 いつもご覧頂き、またコメントあんやとうございます♪嬉しいです。

>本来なら弔辞は、関係者内に偉い議員さんなどがいる場合は、その方にお願いすべきもののようですが、私達は、どうしても孫からのありがとうを伝えたくて、葬儀長や親達にお願いし、孫一同で‘感謝状’を贈らせてもらいました。
感謝状授与式となった弔辞はそれぞれが分担して読み上げました。
 
 孫一同からの感謝状、とても素敵ですね。心から”ありがとう”を伝えることの出来た葬儀、想いのこもった温かいもんやったんでしょうね。

>葬儀後の法話の中で「まさに、南無阿弥陀仏とは‘ありがとう’という意味です。今日のお孫さんたちの弔辞・・あんなに心のこもったありがとうを伝える弔辞を見たのは初めてでした。おじいさまも嬉しかったでしょうね。」という様な話があり、そう言われて、初めて
祖父の死を受け入れることが出来たというか・・納得できたような気がしたのを覚えています。

 僕もまさしく、亡き人への「ありがとう」の想いが、確固たる南無阿弥陀仏なんやと思います。

>法話には「亡くなっても、無くなるわけではないし、休んでるわけでもない。カタチを変えて、常に見守ってくれている・・」という話もありました。

 亡き人は、迷いの世界を離れて、永遠のいのち、即ち無量寿仏となって見守って下さるのだと思います。先日の通夜の法話でもそのようなお話を賜りました。
 心に生きる亡き人を拠り所にして自分自身の生き方を問いながら生きていきたいと僕も思います。

 素敵なお話、お聴かせ頂きあんやとうございました!!

投稿: 松田亜世 | 2009年10月21日 (水) 23:47

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